小さな箱庭Diary

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わたしと図書室の思い出

内弁慶。人見知り。高校生のころ、知らない誰かに話しかけるのが怖かったわたしは、入学してから3ヶ月たっても、友だちができなくて、ひとりぼっちのぼっちでした。お弁当を一緒に食べてくれるやさしい同級生はいるけれど、仲間ではない疎外感がさみしいなんて感じてしまう。いまだったら、さみしいなら声かけよう自分!ともどかしくなっちゃうくらい、どうしようもなくこころが不安定だった思春期のわたしの支えになってくれたのは、高校の図書室でした。



クラスの授業を受ける教室から少し離れたところ、木々に囲まれた二階建てのくすんだシルバーの棟。その二階に、図書室がありました。室内に一歩入ると、本が好きな人だけの、とくべつな場所が広がっています。人の騒々しさがない、ページをめくる紙音や少しの足音、小さな息づかい。みっしりと並べられた本が音を吸収してくれるのか、しんと静かな空間です。そこで一息吸うだけで、ぐでん肩の力が抜けて、たちまち、本来の自分を取り戻したような心地になりました。「よかった、今日もひとりじゃない」と。

昼休みになるたび、わたしは図書室に通っていました。受付で借りた本を返すと、すっかり顔なじみになった司書さんが会釈してくれます。ひとりで来たわたしを詮索することなく、よけいな言葉を言わない司書さん。本を好きな人に悪い人はいません。

今日は何を借りようかな?と書架に向かい、棚を順番に見まわします。有川浩伊坂幸太郎重松清新堂冬樹三浦しをん東野圭吾・・・そのなかから一冊を手に持ち、鼻を膨らませながら閲覧席に座ります。1ページめをめくるとすぐ、本の世界への旅がはじまりました。ページに浮かぶ文字が、あたたかな声や景色になって浮かびあがってくるなかを、わたしはひとり、夢中になって旅をしました。

旅。トリップ。それは小さな旅行そのもの。お昼休みの60分間、ピンク色のイルカと一緒に海を泳いだり、村内先生の生徒になって授業を聞いたり。塩で埋め尽くされた街を歩いたり、喋るカカシの話を不思議がりながら聞いたり。昼休みなんてほぼ誰も図書室に来ないから、閲覧室は貸し切りほーだい。誰にも邪魔されず、どぼどぼと本の世界に没頭していました。いつのまにか、苦痛な昼休みが終わっているという嬉しいオマケつきで。

毎日の図書室通いは飽きることがありません。蔵書がたっぷりとある図書室の本から、好きな旅先を選べるからです。試し読みして決めることもあれば、その装丁や手触りだけで決めることもありました。春のさくら色が綺麗だったから。なめらかなカバーが素敵だったから。背表紙のタイトルだけで選んでみたら、物語とのギャップが衝撃すぎて、午後の授業はこっそり机の下で、借りたその本を読んじゃうなんてしちゃって。

学校に行くのは嫌だけど、図書室のためなら行ける。それほどわたしにとって唯一無二の居場所で、教室より学食よりどこより心地のいい場所でした。ときどき本の入荷をリクエストして、ある日の昼休み、司書さんが「にぼしさん、新刊入ったよ!」と教えてくれたときは、忍者のようにすり足で急いで書架に行って、本を手に取りました。新書の、パリッとした紙とインクのかおりを吸いこむと、いっぱいの幸せでつつまれました。不思議と「ただいま」と言いたくなるような安らぎと、友だちと語らっているような幸せ。鼻にツンとしたかおりが、わたしと図書室の思い出です。


 

たとえ友だちがいなくても、わたしには図書室というよりどころがありました。図書室があったおかげで、友だちのいないさみしさを踏ん張れたし(友だちがいなくてもバッチリオッケー!と言えるほどわたしは頑丈ではなかった・・・)、図書室と、図書室にある本はいつだってわたしに寄り添ってくれたから、月曜日をちょっぴり楽しみにできていたものです。

明日の楽しみ。明日への活力は、心を安らげる居場所から始まるのだと思います。わたしにとってはそれが図書室で、第二のわが家のように、自分が自分らしくいれる場所でした。ありのままの自分でいい。ひとりぼっちなわたしをまるごと受けとめてくれた、いまでも大切な宝もののひとつです。

 

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